複式簿記の検証容易性

 複式簿記を習う者は、真っ先に、その起源が中世ヨーロッパの商船貿易であること、商取引の全権を委任した船長から一航海の成果を資金拠出者に対して報告させるための仕組みであること、したがって、拠出資金の借り手である船長の手元にある財産は「借方」に計上され、資金拠出者の財産は「貸方」に計上されること、初心者は借入金が「借方」ではなく「貸方」項目であるのを間違え易いので注意すべきであることを教えられます。

 なぜ、複式簿記だったのか。
 それは、価格体系の相違が大きいゆえに巨利をもたらすはずの航海であること、しかし、異国の価格情報を他の手段では知り得ない故に資金拠出者だけでなく船長も報告の妥当性を検証し易い方法を必要としたことからです。つまり、必要とされたのは、一物二価を検証容易な形で処理できる方法でした。

 複式簿記が一物二価を自動的に処理できることについては、ほかで示しました。では、複式簿記での検証容易性とは何か。それは、仕訳帳の存在です。

 複式簿記と単式簿記の違いとして、複式簿記ではストック情報とフロー情報を一体処理できることを挙げている言説を目にすることがあります。例えば、20万円を出してパソコンを取得した場合に、単式簿記では出納帳で20万円の支払が記録されるだけだが、複式簿記では20万円の現金の減と保有ノートパソコンの増が一体的に記録されることに違いを見付けようとするものです。
 しかし、これは単式簿記を理解していない議論です。単式簿記であっても、ノートパソコン取得による20万円の減が現金出納簿に、同時に、ノートパソコン1台20万円の増が財産台帳に、それぞれ記帳されます。

 では、複式簿記と単式簿記の記帳における相違は何か。それは、仕訳帳の有無です。そして、この仕訳帳の存在こそが、複式簿記に検証容易性 count-ability 、特に一物二価状態での検証容易性を付与しているのです。

 資金拠出者とその代理人である監査人は、総勘定元帳の各勘定内及び勘定相互間の計数整合性、さらに総勘定元帳と仕訳帳との計数整合性を確認した後、仕訳帳の閲覧と説明聴取で違和感を感じることはないかを自問自答し、あるいは議論したはずです。それは、勘定元帳を操作しても、そのしわ寄せと綻びが時系列での異常などの形で仕訳帳に現れ易いからです。
 つまり、一つの取引を複数の勘定元帳に記帳するだけでなく、さらに仕訳帳という別な会計帳簿にも記録する必要があるという煩雑さ(機械化後は煩雑ではなくなりましたが)こそが、複式簿記の検証容易性の本質と言えます。

 もっとも、大事なことは、何を検証したいのか、ということです。資金拠出者にとって最大の関心事は、自らの資金による儲けはこれだけなのか、ということであり、船長にとっても、預かった資金はくすねていないし、儲けもこれだけだ、ということを示す必要があります。言うまでもないことですが、公会計においては、儲けはどれだけか、という問いは無意味です。

(2003/8/8記)

 基本小委の6月20日の議事要旨に興味深い指摘を見付けた。「複式・単式の問題については、官庁におけるADAMSのようにコンピュータでやる場合は、手で書くような複式記帳と概念的に違う領域になってくる。コンピュータの複式記帳は、左右がそれぞれ自動的に処理される形になっている。具体的に調べてみないと分からないが、その意味で、今のADAMSも複式と言えなくもないのではないかと私は考えている。その意味で、ここで単式・複式という言い方をすること自体が適当なのかどうかと疑問に思っている。」ADAMSとは、機械化された現金出納簿であり、ここで言われているのは、現金出納簿の摘要欄の記入がコード化されていれば、経常項目と資本項目の仕訳が自動的にできるから、効率的に財務諸表が作成でき、機械処理だから検証も不要で、単式記帳と複式記帳を区別して議論する必要はないのではないか、ということであろう。これは、小委員会が複式簿記の特徴を、自動的な仕訳による効率的な財務諸表作成機能と、借方・貸方の残高合致による検証機能で捉えていること、つまり、複式簿記はコスト把握が容易だから公会計に導入すべきだという誤った俗論に毒されていないことを示している。よかった。

(2003/8/10記。11改)

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